お話80<デートDV>

 
 「デートDV」というのがあるらしい。
 DVとはつまりドメスティックバイオレンスのこと、昔で言う所の家庭内暴力。
 今では夫婦の間の暴力に対する言葉として使われている。「デートDV」とは結婚をしていない交際中の男女間での暴力の事を指して、最近使われる言葉。
 私がカウンセリングに関っていた頃DVについては特に問題の深さを実感していた。実際に悩む女性の立場の弱さ、緊急性があるにも関らず目に見えにくい部分が多い為に実態を知らない人も多く、又、他人事と考えてしまうのも否めない。
 幼児虐待もしかり。
 暴力をふるう男性は一般に怒りを爆発させた後に「擬似ハネムーン期」という時期に入る。その時期は謝ったり優しくなって許しを請う。
 そして徐々に緊張期と呼ばれる我慢の時期を過ごし、また緊張感がいっぱいになると再び暴力をふるうのだ。
 このサイクルがDVの顕著かつ一般的なもの。

 夫婦間であれば、密室での暴力となるために外部の目が届きにくいが、交際中であればそうではないだろうという甘い考えで、この「デートDV」に対する法的措置は取られない。(外傷を受けた場合に傷害罪で訴えると言うことは可能だが)
 交際中の相手から受ける暴力は法律で規制されていないのだ。
 
 しかし暴力は暴力、結婚していようといまいと同じ。
 暴力をふるわれた女性は、その後の恐怖感や仕返しされるのではないかという恐怖感から、なかなか誰かに助けを求める事が出来ない事も多い。言葉の暴力も含まれるのだが、男性にはもしかするとこの種の恐怖は理解し難いかもしれない。

 被害者がそこから逃げたいと考えても実際には重傷になったり自殺をしようとする所まで追い込まれて、初めて事実が明らかになるという場合が多いのだと言う。
 そして女性は相手の男性を自分が選んでしまったという部分で、人に言えないと思ってしまう面もあるように感じる。

 暴力はいけないのだ。
 暴力をふるう人間は必ず言い訳をしたり、自分を省みず相手の悪い所ばかりを指摘する。そして思い通りに行かないから力で相手を押さえつけようとする。自分のイライラを弱い相手にぶつけてしまう。
 DVをしてしまう男性は自身が幼い頃、親から日常的に暴力でしつけられたり父親が母親に暴力をふるっていたのを見ていて、強い者が弱い者を力でおさえていいのだと学んでしまって起こるケースが多い、と専門家が伝えていた。

 DVをしてしまう男性が更生するための施設があるが、その団体の代表者が
 「こういった暴力をふるう男性が暴力をふるわない人格になるには、その本人の強い意志と長い時間かけて心を探る努力などが絶対的に必要であるが、それでも治るのは非常に難しい。」と訴えていた。

 心に傷があるから同じ事をしてしまう。理由は分かっても治せないからそのままで良い、なんていうわけがないと私は想う。
 暴力をふるっているときは自分の感情を止められない、そしてその後には達成感さえ感じている事もあるようだ。
 後になっていくら反省したって、傷つけられた人の心は簡単に戻らない。
 私は、だから、暴力をふるってしまう男性に自覚がないことも怖いし、気づいたら治さなければ!と焦ってもらいたいのだ。
 DVが余りに世の中で知られていないから、潜在的になくならないのだと想う。

 被害者を助けることが最優先であるのは確かだけれど、こういった男性をどう社会として反省やら更生やらしていく方向へ導けるのだろう。
 物を盗めば誰でも捕らえられるのに、人の心や身体に傷を負わせる事が、どうしてこうも軽くみなされているのか。
 今までも何人もの女性が警察などに訴えたが、何の改善もされぬまま最悪の場合は命を落としているのだ。

 私自身、今まで何人かの男性とDVについて話した事があるが、どの男性もそれは自分とは関係がない、とどこかで考えているようだった。
 違うのだ。
 男性として、もっともっと自分の中の攻撃的な部分を認識して欲しいのだけれど。女性は特別な訓練をしない限り、男性よりも力では圧倒的に弱い。
 暴力に関して、女性にも悪い所がある、という人がいるかもしれない。
 しかし本当に思いやる心があれば、暴力はふるってはいけないと分かるのではないだろうか。

 力で人をコントロールしようとするのは弱い人間のすること。
 弱いからこそ、力を誇示しようとするのだろうか。
 そして、自分がおかしい、ということに気づかないから繰り返される。
 暴力をふるわない人間への更生を自ら進んで受ける男性は、まだごく一部だろう。

 弱い者を守る為にあるはずの強さ・力。
 その使い方を知らない人が多すぎるのではないだろうか。

 by Yumiko 21th Mar. 2006
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お話79<トランス>
 
 私が精神世界の事を知り始めた頃(10年以上前ね〜)、チャネリングといえばフルトランスであったように思う。
 外国のチャネラーと呼ばれる人が日本に度々来るようになっていた。
 フルトランスというのは、チャネラーである人間がチャネルされる意識体(目には見えにくい存在)に身体を明け渡している状態を言う。もちろん一時的にであり、チャネラーは同意の下行っているわけで、憑依などの霊障とは意味合いが違う。

 有名なのは「バシャール」とか「エクトン」とかかな?

 そのチャネリングの様子を生で見た事がある。
 宇宙の意識や高次の意識体のチャネリングなのだが、証拠は…というとない。
 だけど、色々な存在がいると仮定したとして(天使だって)高い波動の存在は、とても美しいお話をする(と感じた)。
 そして、一般的な常識をはるかに超越したような「おお。」と感心する話もあった。

 正しい正しくないという判断をつけるのは難しい。
 それを受け入れる入れないも個人の自由であるが、私は色々なレベルの存在がいることも知り、「愛」に基づいて話す意識体のみに興味を持った。
 プレアデス系の本を読むと、これまた『どぎつい』表現や地球の過去の物語などが語られる事もあったが(それはそれで面白い)プレアデスなどの宇宙存在(地球人とはタイプの違う、別次元の宇宙人)にも、味方ではないものもいるらしい。
 これ以上の話になると、信じる信じないの討論にもなりかねないので…パス。

 それで、その頃のチャネリングの姿がフルトランスだったのだ。
 チャネルしたとたん、その人の話し方やしぐさも変わっているように見えた。
 出てくる言葉は、確かにその人が考えているものではないのだろうなーと思った。
 
 信じない人側の意見でいうと、お芝居だとか精神異常とか言われてしまうのかもしれない。
 人格が変わってしまうかのような状態だから。

 大抵のチャネラーさんが話していたのは、チャネルをするようになったのは、『同意』のもとだということ。
 そして、その約束は、大昔にされていたものだという説明が多かった。過去世とか生まれる前の約束だという。

 そのうち、半トランス状態で話をする人が出てきた。(出てきたのではなく、元々いたのかもしれないが)
 フルトランスの人は、自分が身体を明け渡している間は眠っているような別の空間にいて、何を話しているのか全く分からないという記憶のない状態らしいが、半トランスは自分の意識は持ったまま話している感じだった。

 そのころ、自分がチャネルをするとかしないとか考えたわけではなくて、どっちかというとフルトランスは嫌だな〜と思った。

 最近、トランスという言葉が耳についた。
 なぜかというと、この所、急激な眠気が襲って来ることが度々あったのだ。
 もちろん子育ての疲れがある。それはそうなのだ。

 ただ、一度娘の勉強の採点をしていたときのこと。
 はっと気づいたときには、私は眠っていたらしかった。ペンを持っていたけれど時間が経っていたし、眠かった。
 「ああ、寝ちゃったのね。」

 そう思いながらページを見ると、私の記憶にはないのに、採点がしてある。
 しかも娘が答えを書き忘れているところに、ちゃんと計算して赤ペンで私が答えを書いているのだ。
 他の所も、ものすごーくいびつな○がついていたりしたので、半分寝ていたのは確かだと思う。
 しかし、私の記憶には計算した覚えがないのだ。そしてその部分に答えを書いた記憶も無い。

 別にこれがチャネリングだと言っているのではない。でもちょっと、目が覚めてびっくりした体験だったのだ。
 
 そして、思い出したことがある。
 私は中学の頃数学が好きだった。
 家で問題集を解いたり宿題をする時、若いので?集中力があったのだと思うけれど、私はその時常に半分寝たような意識状態で勉強をしていた。主に数学がそうだった。
 そして、ちゃんと頭に入っているし答えも出していたのだ。

 ああ…そうそう。あれはいったい何だったのだろう。半覚醒意識っていうのだろうか。
 特にその事は忘れてしまって思い出すこともなかったし、高校になったら、そういう頭の使い方はしなくなっていた(数学に興味がなくなったの)。

 半分寝ぼけたままの意識(催眠療法では、催眠状態ともいう)は、誰にでも必ず一日の何時間は体験しているもの。
 トランス。
 トランスというのは、霊的な話で言えば他の意識を受け入れてしまっている状態であり、通常の意識とは違う状態。

 人間って不思議。
 ちゃんと規則的に寝ていない私は、たまに変な体験をしている。単に寝不足なだけなのかもしれないけれど。
 他の人も似たような体験あるのではないかな。何かに乗っ取られてはいけないけれどね。

 by Yumiko 24th Feb. 2006
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お話78<過去世>

 2006年一回目。
 久々のスピ想です。
 
 今回はなかなか深い内容のメールの返事をする時間が取れないのもあって、頂くメールの中で気になった内容、そして皆様と共有出来そうな部分で書くことにしました。

 『過去世物語』を読んだ方から感想を頂く事があります。

 その方その方、受けとめ方は様々です。そんな感想を頂くのは楽しみでもあります。

 ある方が、現在苦しい状況にいらっしゃるようで、私の『過去世物語』を読んで感じたことがあったそうです。
 それは、ご自身の人生が過去世によって既に決まっているのではないか、という内容でした。

 ある意味そういう部分はあるのかもしれません。
 実際に過去世が現在に与える影響という言い方をすれば、ある問題に対しては、その影響で現在の状況が作られていると言えるかもしれません。

 ただ、既に決まっている人生、というのはどうなのでしょう。

 生まれるときに選んだ、この人生での課題というのはあると思います。
 それは自分で設計をしてくるのだと言われています。

 設計図です。
 
 そして、それすらも忘れて私達は生まれて来ているようです。

 記憶をなくす理由というのは言うまでもなく「学び」の為です。
 今までの経験を一旦忘れて、生身の肉体で正に人生を経験するのです。

 人生がすべて設計図どおりに進むとしたら、生まれてきた意味というのはあるのでしょうか。
 課題には設計があるとして。
 でも、答えは何通りも選択できるようになっているのではないでしょうか。

 頭で考える事は簡単でも、実際に行動に移すのは難しい場合があります。
 肉体を使って経験する事の意味合いの深さ、そして体験する事の意味が、そこにあるのだと思います。自分の意志で決める、という事においてです。

 設計図を考える段階では肉体を持っていません。
 そして過去世でクリア出来なかった出来事への理解があったとしても(つまり頭では課題を理解できたという事)、実際に肉体をもって体験するときにはそうそう簡単ではない、という事なのではないでしょうか。

 人には『魂の癖』があります。
 これは別に過去世に関係して説明しなくても、自分の今の人生を振り返っても分かるでしょう。
 癖は自分ではなかなか気づきません。そして分かっても、なかなか直せない場合が多いです。
 それを直すには、自分をみつめて原因を理解して、やめる理由も分かった上でクリアするのではないでしょうか?

 『魂の癖』、つまり治した方が良いのに治せない行動に対しても同じだと思うのです。
 頭の中では、クリアすべき問題を知っているのです。
 でも産まれるときにすべて忘れます。しかし魂の中に刻まれている己の課題については、既に設計図があるので選んだ親の元で道が作られて行きます。
 苦しい経験を重ねると自分の事を深く考えるようになります。

 そして様々な事に気づくのです。

 その時に大切な事は、自分自身を見つめる事です。

 そして、スピリチュアルな事に感心を持つと、「過去世」というキーワードに辿り付くことがあるのです。

 けれど私としては勘違いして欲しくない事があります。
 それは過去世に答えがあるのではない、ということです。

 「今」このときに、すべての答えがあると言われています。過去でさえも今の中に含まれていると。

 だから、別に過去世を知らなくても、自分の内面と向き合って行けば、分かる事は沢山あるのでしょう。

 『過去世』にあるのは、ヒントです。
 今の人生を歩む為のヒントです。

 その為に、私はセッションをしても必ずしも過去世が必要でない場合があるのだと思っています。
 過去世にすべてを委ねてしまいそうな人、そして過去世のみに答えを見つけようとする人には、伝えない方が良いと伝えられる事も多いのです。

 スピリチュアルな体験は恍惚感を与えたりする事も多いのですが、ともするとそれを逃げ道にして本当の問題から遠ざかる事も見受けられます。

 後ろの存在はシビアです。
 あえて気づくまで、その人の大変な辛い経験を見て見ぬ振りしている事も。
 
 ただし、そういった存在に気づいて助けを求める事は可能です。(ご存知の通り)
 スピリチュアルな経験を受け入れ始めた時に陥りやすいのが、逃げ道を探してしまう事かもしれません。

 本来は、あなたが通らなければならない道があったのです。
 そして、問題に気づいたときに、もっと別の道を選択することも出来るのです。

 嫌な経験を通り抜けたからこそ、理解できる場合もあります。

 今現在辛いのも意味があるのだ、ということが分かった時に、成長のチャンスがあるのですね。

 『過去世』の体験が今の人生を決定している訳ではなく、魂の成長の為に、過去でクリア出来なかったことを再体験して行く道を選ぶ事が最良だと既にあなたは知っていたのです。
 それを思い出すために『過去世』を知りたいのであれば、きっと知り得るチャンスがあるでしょう。
 夢の中で知らせてくれることもあります。
 
 『過去世』に囚われないで下さい。
 過去世にあるのは、キーワードです。

 私の過去世では、元夫との柵の結婚生活の過去世がありました。
 今世も再びその問題に取り組んだ時期がありました。
 私の課題を見つめた時に今世ですっかり成し遂げれば、元夫とは次の人生で出会う必要はないかも、と想っています。
 とてもとても苦しかった体験でしたが、私なりに精一杯向き合いました。
 もし一歩間違っていれば、憎しみの中で相手を殺してしまったかもしれません。(大げさですが感情的にはその位の事があったのです)

 今になってみると、ちゃんと自分の道を探して行く事が出来たのは、どん底の時にも自分の本来の道へ行かなくちゃという意志を持つ事が出来たからだと思っています。絶対に答えはあるのだ、と信じていたからだと想います。

 憎しみも、悲しみも、体験してみなければ分かりません。
 だから、生きている事が大きな学びになるのでしょう。

 あなたが辛いのは、誰のせいでもないのだと思います。体験を選択しているのは自分。そして、もしその体験を望んでいないのに道が修正できないのであれば、どこかにきっと答えがあるのだと考えてみてください。
 あなたが辛いのであれば、それは本当の自分の道ではないということですよね?
 そこから軌道修正をするためのヒントは、もしかしたら『過去世』が教えてくれるかもしれない。

 でも、答えはありません。
 
 過去にあるのは、あなたの魂の癖を教える出来事。

 今の人生は決して決まってしまっている訳ではないのだと想います。
 断言できないのは、その人が何を選択するかは自由だからです。

 過去世で自分が悪い事をしたから、今の人生は上手く行かないんだ、と考えるのも自由です。

 でも、今生きているのであれば、理由を探して変える事が出来るはず。
 何かのせいにするのは簡単です。不幸な過去を理由に幾らでも逃げる事が出来るかもしれませんから。

 でも、それは、あなたが本当の意味での幸せを掴むことが怖いのかもしれないと思いませんか?
 幸せになってはいけない、という魔法の言葉を信じているのかもしれません。

 今幸せでない理由は、幸せになるためではありませんか?

 幸せだと思えないから、一生懸命自分を見つめて、何かを探しているのではありませんか?

 その答えは、スピリチュアル的と呼ばれる魔法の中にあるのではなくて、自分の意識の中で「幸せ」について理解すれば見つかるのではないでしょうか。
 私達が幸せについて考えた時に、すごーく遠くの方を探していたとか、幸せの捕らえ方を間違っていた事に気づくと、もっとずっと早く問題は解決してしまうのにね、と天使達が言いました。

 人によって、見つけるものは全然違うのかもしれません。
 
 ただ、誰もが幸せになることこそが、生きているという事。
 不幸を「過去世」のせいにするのではなくて、自分の癖を手放す事です。
 いっぺんには出来なくても。
 
 少し分からなくなったら、初めの頃の「スピ想」を読み直してみて下さいませ。
 
 幸せ、って?
 本当の幸せは、執着を手放したときに手に入るもの、かもしれませんね。

 by Yumiko 22nd Jan. 2006
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お話77<妊婦体験>

 
 まだ伝えていない事が沢山あるように思うのだけど、今は自分の生活を中心に廻して行きたいので、なるべくHPには触らないようにしていました。このところ出産予定日が近づくにつれて、今までの妊娠期間中の出来事を思い出して来る事が多くなっっています。そこで、出産までに書いておこうかなと想ったままにPCの前に座ってみました。

 例えば、前期の検査で「最近風疹にかかった疑いがある」と言われ、2週間検査結果を待ち憂鬱だった事。
 異常があったときには医師から電話があったのであるが、その後の細かい検査結果は異常がなければ何の連絡もないと後から知り、不親切感を否めなかった事(ずっと心配していた)。
 一人目の娘の時以上の激しい悪阻に襲われた事。
 途中から、発育が小さめと言われ、毎週検査の為大学病院へ通った事。

 でも、いつもパートナーがじっくり話を聞いてくれた。
 娘の世話もある意味大変だけど、一緒にいてくれる娘がいた。
 
 だから一人目の時よりも、心細くはなかった。
 もちろん体調が辛い事はままならなかったけれども。

 そして、当初予定していた、ホメオパシーなどの自然療法を取り入れている助産院での出産は断念することとなった。

 でも、すぐに別の場所が見つかった。
 結果的には希望の助産院を見つけることが出来た。

 なんで、そんなに助産院にこだわるのか???と疑問を持つ方もいらっしゃることでしょう。

 妊娠30週の頃に、私の赤ちゃんは逆子になっていた。
 今更ながら原因を考えると、暑い夏の冷房などで体を冷やしきっていたせいもあったように思った。
 大学病院では逆子は大変困った事で、34週になっても治らなかったら帝王切開の手術の手続きをして下さい、と言われた。
 そこで、すぐに「安産灸」という妊婦専門のお灸を見つけて、幸いに都内で行く事が出来たので治療を受けた。
 一日で逆子は戻ってくれた。

 お灸に行く前には3日間、大きなお腹でパートナーに支えて貰って逆立ちもした。約一分間。
 これが結構効果があるという情報を仕入れたので、もう何でも試したかったのだ。
 
 お灸について言えば、その時依頼、ずーっと毎日続けている。
 週数によって微妙に位置をづらしてくれるのだ。出産が軽くなるように。
 そして、出産する場所として選んだのは、その安産灸で教えて貰った助産院なのである。

 すべてが繋がっていたのだと想わずにはいられない。
 忙しい妊婦期間だったけど(まだ終わってないの)それにしても沢山の経験をしてきたなあーと感じる。

 出産は女性にしか出来ない事で、以前は正直面倒でたまらないと感じていた部分もあるけれど、ようやく肯定的に受け入れる事が出来るようになってきたかも。ちょっと遅いかもしれない。
 これは周りの支えがとてもとても大きい。
 HPを経由して、私を励ましてくれる皆様の力も、なんと何と大きい事でしょう。
 私はなにぶん、母性本能が足りない…と自分自身では思っていたので、益々色々な経験をさせられていると実感している。
 ただただ、楽しくほんわかと妊婦期間を過ごせる人だっているのだから。恨み言ではなくね。

 今回の妊娠は、赤ちゃんの気持ちが何となく伝わって来るのを感じる事が出来た。
 
 実は、大学病院で助産院出産の許可がおりなかった後、別の医療機関で検査を受けた。
 その時、確かに規定よりも赤ちゃんは小さめ。だけど、他に何の異常もない。
 だから、助産院で産みたいのだと訴えた。

 その時、担当医に「信じられない!」と言われた。
 その後、散々な言葉が頭の上を通り過ぎていった。
 「最終的には、ご夫婦での決断なんですけどね。」と言いながら、万が一の場合、結局は病院を責めるのが落ちだ…という事を言いたかったらしい。
 その時、「赤ちゃんの安全を考えた時、あなたの選択がそれでいいのか…っていう事なんですよね。」
 先生は、とても冷たい目をしていた。

 ずっと黙って聞いていたけど、私はお腹の赤ちゃんに手をあてていた。
 この先生は心配してくれているのも確かかもしれない。ねえ、どうしよう、赤ちゃん…。

 赤ちゃんは、何となく私の言葉を受けとめていた気がする。でも動じていないような感じ。あら。
 
 異常がないなら、自然に産みたい。
 自然っていうのは、促進剤や時間短縮のための会陰切開や分娩台での不自然な姿勢での出産をしないこと。
 優しい環境の中で、自然の時間の流れの中で赤ちゃんのペースに合わせて出産を迎えること。
 ガチャガチャと機械に囲まれたり、蛍光灯のまぶしい明かりに照らされたりする事無く。

 多分、普通に考えると私は我がままを言っているのだろう。
 そして、何も意見を持たず(バースプランというものは病院でも作るところがある)産ませて貰う感覚でまな板の鯉になって、医者のいう事を聞いている方が、文句も言われず、良い妊婦なのかもしれない。
 でも、私はやっぱり嫌だと思った。
 だから、先生に色々言われている間も、黙っていた。
 助産院を希望していて、大学病院で泣かされる妊婦が多いと聞いていたのも分かる気がする。

 赤ちゃんの命が万が一の時どうするの?と責められたら、自分の望む出産を否定されたら、逃げ場がなくなってしまう。

 本当に必要な医療措置ならば受けなければならない。
 それと共に、医療機関は出産での突発的な異常のリスクを非常に問題にしている。
 理解できなくはない。最終的にはすべて結果論だと思うから。

 さて、そこで、私はすべての危険のリスクを回避するためにはどうしたらいいのだろうと考えた。

 病気ではないのだけど、赤ちゃんの命を秤にかけているのかな?私。
 そんな風に考えながら、助産婦さんに相談をしてみた。

 医者に言われた事を聞いてくれた上で、

「そうね…それなら、家(助産院)で頑張ってみましょうよ。」
 とあっけらかんと言われた。
 何かあっても、ちゃんと間に合うようにやりましょう、ととても自信に満ちた言葉。
 女性は強いな、と思った。医者の立場と男性という立場、色々な事を感じた。

 それから、私はお灸も足湯も自分で家で行いながら、検診時にはリフレクソロジーでリラックスを味わってきた。
 私の心は安らいでいる。
 どんな出産になるかは分からないけど、まるでお母さんのように安心を与えてくれる助産婦さんと出血の管理等してくれる鍼灸師さんと共同作業になる予定。
 お灸にそんな効果があるの?と思ってしまうけど、赤ちゃんが小さめという事があったので、なるべく予定日まで持たせるように成長できるようにツボを探してくれていた。
 もし、病院だったら、少し出産時期が遅れても何かの措置をされてしまう可能性がある。
 それが本当に必要なことなのか、私にはずっと疑問でならないのだ。

 実際に赤ちゃん自身が陣痛を促すホルモンを出し始めて、出産が始まるという事が最近分かり始めたらしい。
 妊娠については、分かっていないこともまだまだ多い神秘の領域なのだと言われている。

 自然に産む事が、こんなに色々な壁と向き合うことになるとは…多分私の中で大きなテーマを抱えているような気がしてならない。
 例えば過去世での大きな勢力に対する敵対感とか。その内、探ってみようかな。

 私はもっともっと楽しくて明るくて母親と赤ちゃんに優しい出産(肉体的にも精神的にも)が広まって欲しいなと思う。
 だけど、こればっかりは本人の自意識が選択することなので…強制は出来ないけれどもね^^。

 出産した後のケアーも本当はとてもとても大切。
 今は私は当事者だけど、出産2回目であっても母乳育児にしたって、自分の世話にしたって、沢山のサポートが欲しいと思う。
 妊娠出産は自然な営みだという事で、産んだら勝手に育つ、と考えてしまうのは大きな間違い。
 お母さんも赤ちゃんも、周りの助けがあってこそ。
 不必要な出産までの医療行為の変わりに、もっともっと心のケアに力を入れて子育て期間まで見て行くのが、本来の医者のあり方ではないのかしら〜と、勝手な希望を述べさせていただきます。

 年子で望まない妊娠をしてしまう事は実は女性にとってこの上ない負担になると聞く。母親自身としても父親としても考えを持って、女性の体も心も大切にしていかなければいけませんね。これこそ、自己意識の高さがものを言うのかもしれません。
 女性に優しい世の中になりますように。
 
 by Yumiko 17th Nov. 2005 



色々な症例を基に体験形式での催眠療法が
  漫画になっています。ヒプノトラベル(5巻完結)
  心の問題を抱えている人に分かりやすいのでお薦めします^^。
  暫く、YumikoがHP更新できなくなりますので
 参考にして欲しい文献として載せておきますね。
 
インナーチャイルド・親との確執・病気や体質の問題や様々な行動パターンの癖・感情問題
など自分と照らし合わせられる事があるかと想います。
 その他の本は、
本の紹介へどうぞ。

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お話76<癒しきれなかった出来事>

 
 今妊娠中で当たり前だけれど、お腹が重い。
 夜横になると活発に動き出す事もしばしば。
 それなので、ぐっすり深い眠りにつく事は難しくなってくる。
 
 妊娠後期は特に昼寝を薦められるのは、疲れやすいこともあるし睡眠不足になりやすいからなのだろう。
 もちろん生まれてから3ヶ月、ことさら初めの1ヶ月は、ある意味戦場のように思う。
 あばばばば〜(*0*)とあやして楽しいだけの母親である事は有り得ない。
 寝ても覚めても赤ちゃんのお世話に追われる。分かっているが気が遠くなりそうな私。

 先日、お昼寝をしていた時のこと。
 うつらうつらしていて、目覚める間際に夢をみていた気がしていたのだが、そのうちに意識がはっきりしてきた。
 その時私が何を考えていたかと言うと…意識したわけではないが、昔々(と言っても8年前)まだまだ小さい新生児だった娘をお風呂に入れていた頃の情景だった。
 当時、元夫が娘の入浴担当だったのだが(はっきりいって他の事は殆どしていない)、その時間が私にとって継続して独りになる時間が取れる唯一の時だった。
 時間にして10分足らず。
 娘の服を脱がせ、それを整理して、新しい服をすぐに着られるようにバスタオルとセットして準備しておく事は私がした。
 だから1人になれる(休息?)というのもホンの5分ほどだったかもしれない。
 常に泣くので抱いていたから、ハアーと溜息をつきながらトイレで腰を掛けていたよなーと思い出していた。
 ある日、それから脱衣所に戻ってみると既にお風呂から出ていた。
 大抵は私がバトンタッチで服を着せるが、その時は少し間に合わなかった訳だ。

 そしてまた情景がはっきりと思い出された。
 元夫に言われた言葉。
 「なんかさー、いつもトイレでゆっくりしてない?」
 
 私は遅れてしまった事を申し訳なく思っていた部分があったので、その時何も言い返さなかった気がする。
 そのことを思い出していたのだ。

 あのころの私。
 殺伐としていたなー。
 頭とは別に、猛烈に腹が立ってきた。ものすごい怒り。
 (ちょっとー私が何であんな事言われなきゃいけないのよーー!少しぐらいトイレでゆっくりして何が悪い!!
 殆ど全部私が面倒みてたんだし、私は滅茶苦茶疲れ切っていたのに、あんた(元夫)に頼る事も出来なかったんじゃーー!)
と、はちきれんばかりの感情が湧きあがってしまった…(^^;)

 内心自分でも驚いた。
 私は過去をクリアーしているつもりだったから。
 
 ああ、いかん。怒りの感情は感じても、手放さないといけないわー。
 と理性が働き、さてどうやってこの感情を癒そうかと考えた。
 エネルギーワークもあるけれど、それをやりながら、やっぱり慣れているバッチのレメディーを服用した。
 私の心の中では、怒りとその事への驚きと、内心クスクスと笑っている部分があった。

 元夫に対して、私はまだまだ怒りが溜まっているのだと知った。
 そしてこれは、特に育児に関することなのだと分かってきた。
 なぜかというと、離婚後私は、目の前の子供を育てる事に必死であったので、赤ちゃんの頃のことを思い出す余裕もなければ、思い出したくもなかったのかもしれない。
 離婚の痛手を抱えている事は既に全くないけれど。
 細かく私が受けた育児に関する痛手は消えていないのだと知った。

 相手はそれ程深く考えて言ってはいない言葉だろう。
 けれど、妊娠出産後はかなり精神が不安定になるといわれる母親なのだ。
 
 あのバカ夫(言わせて下さい)は、何も分かっていなかった。そのことをもう許して手放したつもりになっていただけなのだ。
 だから、何となく自分の事が可笑しくもなってきた。
 
 その話を子育て中の友人に話すと、「スピリチュアルディボース(スピリチュアルな離婚)」という本がいいよ、と教えてくれた。
 私は完全に離婚をクリアしていなかったのだと思う。
 それが、今回の妊娠ではっきりしたにすぎない。
 というよりも、このお陰で、又1つ私の学びを見つけた。
 やる事が分かれば早い。何をすればいいのかは分かるから。

 あの頃の自分を憐れむのではなく、単にあのときに感じ切れなかった感情をしっかりと吐き出す必要がありそうだ。
 このまま行けば、理由も分からずパートナーにあたってしまったかもしれない。見えないエネルギーで、(私の辛さ分かってよーー!!)と。
 もちろん現パートナーには気持ちをちゃんと伝えられる(事が多い)。だから同じ事を繰り返す事はない。
 私の中の問題が発見されたのは、ある意味大きなギフトだったのだ。

 無理して相手を許すだけでは、何の解決にもならない。
 感情を殺してはダメ。解放する事が大切。つまり、まだ過去に留まっている感情を見つけ気づき手放す。

 癒しは先ばかり見ても難しい事がある。それを再び教えて貰った。
 もういいじゃん、と思えるためには、残してきた感情を発見するという作業も重要だったのかも。
 いやー私も結構根深いのね(笑)。
 2回目の育児は、夫と娘と楽しく過ごす為にも、必要な気づきをもらったと想う。自分にも、赤ちゃんにもありがとう!なのです。

 by Yumiko 11th Oct. 2005
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お話75<時は今>


Linkでも紹介している、『越山雅代と220Vシスターズ』http://www.masayo.us/なのですが、その中の雅代さんのブログhttp://plaza.rakuten.co.jp/masayo220vで素晴らしい詩を掲載されていました。
 ぜひ皆様にも目を通して頂きたいな、とこちらに載せてみます。


★☆★   『時は今』     ★☆★ 

お前はろくでなしか・・・・・・いつになったらやるんだ。
   
いったい、何が起きなきゃならないのだ。
そのために、家族が死ななければならないのか。
会社がつぶれなくてはならないのか・・・・
ガンの宣告を受けなければならないのか。
  
学校を出れば・・・
いい職に付けば・・・
結婚したら・・・
子供ができたら・・・
金ができれば・・・
運がめぐってきたら・・・
 
・・・そういって、一体何年経ったんだ。
そのうちそのうちと、延ばし延ばしでいったい何年生きてきたんだ。
時は今しかないじゃないか。
   
未だかって、明日の朝、顔を洗ったことのある奴は
一人もいないじゃないか。
  
人は皆、自分の人生を考えることを延ばして、
周囲の事ばかり気にかけて
そして・・・批判をしている環境評論家ばかりじゃないか。
それを・・・周囲の人と調和しているだと、トンチンカンな事を
言っているんじゃないのか。
それを・・・人のためといって自分をごまかしているんじゃないのか。
色々と言い訳をいって・・・環境に埋没してはいないか。
  
お前はいったい、いつになったら自分の人生を生き始めるのだ。
  
人のせいにする時は過ぎた。環境のせいだからといって、
それでお前の一生が不満に塗りたくられて、それで終わりで
いいのか。
親のせいにして、不満足な自分で一生を過ごすのか。
 
何かのせいにする時は過ぎた。
過去はないのだ。お前が勝手に思い出しているだけではないか。
不満を改善するために・・・自分をより成長させるために
今、この時が与えられているのだ。
 
過去の妄想を忘れ、素晴らしい未来のために今を生きようではないか。
それをするのは他でもない。お前なのだ。
   
その時は『今』しかないのだよ。


昭和51年10月7日 村松智文(知守文)

 現在「知守文」さんに改名されていらっしゃるそうですが、この方が29歳の時にご自分の守護神から突然湧いてきたものだそうです。

 「会社の事業が行き詰まり、社員たちが帰宅した後、一人きりになった事務所での出来事でした。私は万策尽きて、本当にどうしてよいかわからなくなっていました。 そして、机の上に両手で頭を包むようにうつむいて、「まいったなー」と、ため息をついた時のことでした。」

 このエピソードを伺って、納得せずにいられませんでした。
 苦境にたったり、感情でいっぱいになったときに、こういう事が起こりがちだと私は感じているからです。(私もそうでした)
 
 さて、皆様は何を感じられるでしょうか。
 そして、雅代さんや220Vシスターズの方々のブログも元気が出るものですので興味のある方は是非ご覧下さい。

 by Yumiko 24th Sep. 2005
 
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お話74<補助霊>


 先月の日記に、ある心中をした女性の霊のお話を書いたのを覚えていらっしゃいますか?
 この体験後、パートナーがある事を教えてくれました。

 私が赤ちゃんのことで何かと心配していた時、
「こういう時に使えるんだよ。」
 と言われて、は?という感じでした。
 唐突に言われても分かりません。

 数日前に上に上がった、あの女性が、私を助けてくれるというのです。

 「あの時の女性、どんなイメージがする?」
と聞かれたのでジッと視てみると、とても柔らかな感じがしました。
 「だから、大丈夫なんだよ。これが助けてくれるんだな!」
と嬉しそうに彼が言いました。

 ?????

 なぜ、あのような出来事が起こったのかな、と思ってはいたのですが…。
 女性の霊と私とに縁が出来た事、そして上に上げたのは私ではないけれど、私にすがってきたのも全く意味が無かったわけではないのかもしれません。
 
 「これから、赤ちゃんの事をお願いしておくといいよ。」

 守ってくれる存在は少しでも多い方が嬉しいとはおもいますけれど…。
 どうぞ、よろしくお願いしますね^^。

 以下に、その時の体験を記載しておきます。

 素顔なYumikoの日記=8月29日付=

夏休みも終わりということで(子供のですが)ちょっと涼しげな話題はいかがでしょう?
 苦手な方は読まないでね。

 パートナーがPCの調子が悪く悪戦苦闘をしていた。
 私と娘は既に眠りの中…だったのに、夜中に目が覚めて、どうにも調子が悪い。
 どうしようかとしばらく悩んで、別室の彼の所へヘルプを出しに行こうと思った。
 途中、
 「カチッ、カチッ」という電話の切れる音がしたので確認したが着信は無かった。
 変だなあーと思いつつ、彼に訴える。
 PCの前でうとうとしていた彼が私に気づいて「どうした?」と聞く。
 ちょっと気分悪くて苦しい、というと寝床に来てくれた。
 それから、どうやらこれは何か拾った?というような諸症状が現れ始めた。
 彼は彼で霊視をしている。
 私には、はっきり視えるものがあった。
 着物姿で髪を結っている女性と、少し遠くにいるチョンマゲに商人のような姿の男性。
 そしてその間、私の近くに白いヘビ。

 「お前は誰だ?」と彼が話しかけていた。
 どうも心中をした二人らしい。
 私は視えたものを伝えているうちに状況がはっきりと分かった。
 女性は(心中したら一緒になれると思っていたのに、死んだら離れ離れになってしまった。)と訴えてきた。
 亡くなった後に、板の上に縛られ、別々の場所へ運ばれている姿も視えた。
 その間も私は呼吸が苦しい。
 生あくびがでて涙が流れた。

 つまり、死ねば女性は男性と一緒になれると思っていたのに、離れ離れになってしまった事を悔やみ、さ迷っていたのだろう。
 通訳をしてくれたのは白いヘビのようだった。それは私をある意味守っていたのかもしれない。
 でも、私に憑いたという事は、私が同調してしまう何かの部分があった為かもしれない。今私の体調は不安定極まり無い訳なので。

 結局、彼は二人を引き合わせて、簡単に言うと上に上げたようだった。
 すみません。
 またご迷惑を…。
 でも、あっちの道を通っていけば?といったのは、紛れも無く…。
 はい、そうです。拾っちゃったのは私です。
 
 朝、電話を使おうとすると、繋がっていない。
 ピンときて、昨日のあの音がした時…と思いながら、ちょっと複雑に絡んでいるコードを探ってみると、?というような途中の線が抜けていた。
 私は夜、そんなところに触れてもいない。
 それに、簡単に取れるような部品じゃないじゃない、と娘相手に話していると
 「お化けだよ、お化けがいたんだよ。」と娘に向かって言う彼。
 おちゃらけて娘にはごまかしたまま、
 「Yumikoにしっかり入っちゃってたよ。電話もそれ。」

 きゃー怖いー。
 ダメです。
 そんなものを引き寄せていては。
 死んでもずっと相手を想い続けていた部分が同調しちゃったのかな、とか思いつつ。
 ダメです。
 私には守るものもあるんです。
 気をつけますです。

 =以上=

 実はこの話には続きがありまして…。
 心中した男性の方は、実は助かってしまったのだそうでした。
 そして、彼はその後も罪悪感にかられながらも独身で過ごし人生はまっとうしたようです。

 その為、ずっと彼は上から彼女の事を心配していて迎えには来ていたのだけれど、彼女が生前の事に囚われて地上から離れられずさ迷っていた為に、手出しができなかったのだろうとのパートナーの話でした。

 ほお、なるほど。だから少し離れた所に心中をした彼が視えたのかも、と納得。
 何にせよ、2人は一緒に上がれたのだから、良かったのですね。

 もちろん、度々このような体験を希望してはおりませんが(^^;)

 by Yumiko 13th Sep. 2005
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お話73<境界線>

 
 私は人との境界線を大切にしたいと思っている。自分のエネルギーを自分で保有する事の大切さを学んだからでもあるし、それが自分にとってとても重要だと分かってからの事である。

 何も気づいていなかった頃(生きることが苦しかった頃)は、多分自分のエネルギーと人のエネルギーを混ぜこぜにして、相手の事を同じように抱え混んであげることが優しさだと勘違いしていたのだと思う。
 だから、なぜか自分が益々苦しくなった。
 相手の事を思っているつもりなのに、なぜ?と思った。
 エネルギーの事が多少なりとも理解出来るようになってから、自分を大切にすることが分かった。
 それが決して我がままではないことを知った。
 人の苦しみを貰うのではなくて、人の苦しみを理解して手放す助けをしてあげられることもあるのだと学んだりした。

 思考回路が働かない時は、人のエネルギーを受けている可能性がある。
 時に霊障と言われるものが、その1つかもしれない。自分ではない存在に自分が乗っ取られてしまったり…。
 もちろん自分の中にその原因がある事が多い訳だけれど、それを許さなくていいのだと知らないことも多いのではないかと感じる。

 人に優しくする、という意味を違えて捕らえている事も多いのかもしれない。
 本当の優しさは厳しさも伴う気がする。
 人に注意をする、ということは、自分のエゴでなければその人を思いやってのこと。
 だけど、言う本人は結構辛いもの。
 悪者になってしまうこともあるだろう。
 
 親が親たるのが難しい時代。
 自分さえも保てないのに、子供をしつけられるものだろうか。
 私は常々反省の日々である。
 子育てとは、本当に学びの日々である。
 親と子供はルートチャクラ(第一)とハートチャクラ(第四)が繋がっているという。
 子供はしっかり親に依存して生きている。

 そこをクリアして、自立へと進む。

 人間関係の依存が、ただいけないのではなくて、依存の中での信頼感を育てていく過程が重要なのだと思う。
 それが上手く学べないと、大人になるにつけ様々に不要な不健康な依存体質を作ってしまうのだろう。
 幼少の頃に学べなかった事。
 これがずーっと後を引く。

 今、そのことに気づいて癒しを選択している人たちに大きな光を届けたいと思う。
 個人が出来る事は些細なことでも、後ろの存在の愛は計り知れない。
 そしてその愛を受け入れた時に、自分の中の大きな愛を認める事が出来るきっかけとなるかもしれない。

 失望したときこそ、愛に気づくチャンス。
 失望は休憩地点。
 ただ、それだけ。
 他の道、方法を探す時なのだと気づけばいいだけ。

 その失望感にすべてを委ねてしまったり、自分をなくさないで下さいね。自分はダメだと思ったら、人の何倍も先に進むチャンスだから。
 自分を知ろうとしているのは、最高のスピリチュアル体験ですからね。

 by Yumiko 21st. Aug. 2005
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お話72<自分を持つ事>

 
 今日、友人と約束していた場所で会った。
 私の体調を気遣って近くまで来てくれた。
 会社を辞めて1ヶ月と少し。
 ボーっとしている生活に慣れてきたようで、この先の事などを話した。
 彼女は真面目だけど、結構楽天的なところがあるのが強み。かといって、常識も踏まえているので一緒にいて安心。

 彼女の誕生祝いのつもりもあったのに、先に私への安産御守を渡してくれた。
 それは、たまたま今日時間があっていったという「芝大神宮」のものだった。
 帰り際に、(あ、そうだYumiちゃんに。)と脳裏に浮かんで購入してくれたのだそう。
 私は1ヶ月程前から、伊勢に行きたくて仕方が無かったが、無理なら東京の伊勢でもある「芝大神宮」に…と思っていた矢先なので、こういうシンクロって、驚くけど感動する。
 
 そして、私からのプレゼントは…あったんだけど…それよりも透視が始まってしまった。休業状態のつもりだったのに、彼女の横に視えてしまうものが取り払えない。
 つまり彼女にくっついているわけだ。
 心を開いてお話しているので、こういう状況になる事はあるのだけど…。

 容貌を話すとドンピシャな人がいて、正に今困っている関係の人らしかった。
 そして、会社を辞めたのに肩が重くて仕方がなかったと。
 彼女は、これから新しい道で新しい出会いを待っているのに、ちょっと邪魔をしそうな事には対処した方がいいねーという話になった。
 最終的にはパートナーのアドバイスももらい(お清めの方法とかね)、彼女は嬉しそうに帰っていった。
 これで海外旅行もバッチリ。
 そして出会いなんかも、あるといいねえ。

 今日は、彼女の後ろの存在が私に教えてくれた。そんなつもりではなかったけど、憑いてた者は、ジーット睨んで来たから、ほっとくわけにもいかなかったのだよ…。

 結局、スピリチュアル的に光と繋がるっていうことは、その時々必要に応じて使うのが一番。
 常に天使などの事ばかり考えていると、地球とつながれなくなってしまって、いざと言う時に生きているという感覚が分からず、人としての常識(感覚)を失う事すらある。
 私はそれをとても怖いと思っている。

 彼女が直感で神宮へ行ったり、御守を買ってくれようと思った感覚も、直感が生かされている証拠だし、逆に私が彼女の危惧(生霊)を見つけたのも同じ。
 例えばMapという手法でホワイトブラザーフッドとつながってコーニングを開き、体を治療する方法があるけれど、これも開いたら必ず閉じる、という事が大前提。
 開きっぱなしだと意識が散漫になってしまうのだ。
 地に足を付けること。
 大地と生きていることを感じること。
 上にばかり行かない事。自分自身を感じていること。

 今、それを伝えたくて書いている…みたい。
 どうも最近危うい人が増えていないだろうか。時々耳に入るそんな風な話が多い。
 精神世界に逃げてはダメなのよー。特別意識を持ったら危険なのよー。
 それを選択するのも確かに個人の自由なんだけれどもね。

 帰宅してから、今日会った友人からメールが届く。
 それは私の伝えた生霊かもしれないと思った人の写真らしい。
 私は睨みつけられていたので、ちょっとうつむき加減に見えたが…確かに目がそんな風。そして彼が表現した「キツネ顔」。彼女も写真を見て、あ、と思ったらしいが本当にキツネ顔。
 彼女と会う日を今日にしたのも、きっと偶然じゃないと感じた。新月でしょ?
 彼女のスタート地点を応援したいもの。
 
 危うい所へ行ってしまわないように、皆様心して生きて参りましょうね。
 光と繋がるのはいいけど、上の世界へいつも行ってしまったら…人として生まれてきた意味がないですからね。

 by Yumiko 5th Aug. 2005
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お話71<小さな日常の出来事>

 
 タラタラと作業ををしていた小田さんのシングルCDの送付だが、やっと準備出来た。
 貰って頂けるだけで有難いなーと想った。
 なぜかというと、メール下さった方が「欲しい」と望んでくれている訳で、本来はゴミになってしまったかもしれない物であるのに喜んで頂けるということを、宛名を書きながらジワジワと喜びとして実感したから。

 数日前、動物園で案内スタッフをしていた時代のガードマンだった男の子(既に男性と呼ぶべき…かな)が、久々にメールをくれた。
 何と!
 小田さんが4年前から続けている「クリスマスの約束」という番組をすべてDVDに焼いてくれたと言うのだ。
 私の小田さんファン熱に影響を受けたのか、彼も小田さんファンになってしまった。
 昨日、そのDVDが届いたのだ。
 ふと想う。
 シングルCDを手放そうと想った事と関連しているのではないだろうか…と。
 彼は彼なりの考えで準備をしてくれたのだろうけれど、私へのタイミングが素晴らしい。もちろん私のHPなど見ていないはず。
 手放すと受け取る事が出来るのだ、というメッセージなのかもしれないわーと想った。

 こういう小さな積み重ねが、人生って楽しいなと感じさせてくれる。
 出来れば、いつもいつも、こういう感覚を研ぎ澄ましていられるように心を磨いていたいと想う。
 何かに囚われている時には、絶対気が付かない小さな事。
 日常は、そんな事の積み重ねだろうと感じる。

 by Yumiko 24th Jul. 2005
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